「恐れや不安」を生む未来の妄想の手放し方

先週の金曜日に鎌倉で開催した「第1回 グッドバイブス ご機嫌な生き方塾」でこんな質問をいただきました。

「恐れや不安をもたないほうがいいことは理解できます。でも、どうすれば、望ましくない未来について考えることを止められるのかがわかりません。頭に浮かぶことを、自分の意志で消すことが本当にできるのでしょうか?」

たしかに前話でも、「不確定な未来に関しての思考を止めればいいだけです」と書きました。ここでも同じような疑問をもった人は少なくないでしょう。

そこで今日は、「恐れや不安」を生むような「妄想の手放し方」について書いてみようと思います。

結論からいえば、望ましくない感情を抱かせるような考えを、自分の意志で止めることはけっして難しくありません。ただし、それは長年のクセを直すのと同じで、それなりの時間と根気を必要とします。まずはこの点を覚悟してください。

私たちに染みついているクセとは、「どれだけ嫌な思いを抱くとしても、望ましくない未来について考えずにはいられない」というものです。これを「考えない」に変えようとすれば当然、「でも考えたい!」という思いが込み上げてきます。

この抵抗に打ち克てるかどうかが最初の勝負所となります。もっとも重要なのは、「でも考えたい!」と主張する自分に、

「望ましくない未来について考えておくほうが安全だ!」

という大義や理を与えないことです。

そのような言い分は、次のことを根拠にきっぱりと却下するようにします。

・望ましくない未来を妄想しても、問題はひとつも解決しない。つまり、悩みを生じさせるような考えには何の意味もない。
・望ましくない未来の妄想は、エネルギーと体力を著しく浪費する。つまり、人生にとってもっとも時間をムダにする行為である。

ここが揺らいでしまうと、「でも考えたい!」の抵抗には勝てません。どうしても考えを手放せないと感じたら、上記の事実を本気で受け入れているかを確認してください。

次に、拙著『グッドバイブス ご機嫌な仕事』で私が「大きな自分」と呼んだ「意識」を使う練習をしておきます。できれば、30分から1時間ほどひとりになれる時間を作ってください。静かな場所であれば、カフェや職場の休憩室などでもかまいません。

準備ができたら、次のステップを行ってみてください。

① 頭の上に「意識」が浮かんでいる様子をイメージする。
② 深刻ではないどうでもいいことを頭で考えてみる。
③ いま考えたことを「意識」で観察できるか確認する。
④ 考えたことを観察できたら、自分に合った方法で消す。

④の方法はいろいろあります。考えたことをホワイトボードに書く様子をイメージしておいてクリーナーでサッと消す。シャボン玉を思い浮かべ、その中に考えを入れて割ってしまう。強風をイメージして考えを吹き飛ばすなどです。

ちなみに、私は考えたことを「意識」の中で氷づけにして、パリンと砕くようにしています。ぜひ、自分に合ったやり方を発見してください。

「意識」の使い方がわかったらいよいよ実践です。誤解しないでほしいのは、けっしてすべての思考を消す必要はないという点です。何かを考え始めて、「恐い!」「不安だ!」と感じて心が動揺したら、すかさず「意識」を発動してください。

先の練習を思い出しながら、望ましくない考えを観察できたらシャボン玉や強風で消してみましょう。うまくいけば、思考がストップした瞬間に心の動揺も和らいでいるように感じるはずです。

でも、すぐに「考えたい!」の抵抗に押し戻されて妄想が再開します。このときの自分の様子を次のようにイメージしてください。

「考えればダークサイドに落ちる。考えなければ光が見える」

それはまるで、「考えたい自分」と「大きな自分」が綱引きをしているような状態です。実際に、どちらかに引っ張られるたびに、不安と平安を行ったり来たりする自分の心を実感できているはずです。

不思議なことにこのバトルの最中は、最初にあれだけ確認した「考えることに意味はない」や「考えることは時間のムダ」という話はすっかり消し飛んでいます。

なぜならば、不安になったり悩んだりする自分の状態にも、抗えない魅力や快感があるような気がしてしまうからです。

だからこそ、綱引きになっていると考えてください。これを私は、

「ダークサイドからの誘惑」

と呼んでいます。

あとは、あなたが悪癖と考えるものから抜け出す方法とまったく同じです。成功の鍵は次の2つにあります。

① 綱引きに負けないと決意する強固な意志。
② 妄想を手放すことで得られる「平安な心」のメリットを享受すること。

ダークサイドからの誘惑に負けないために、先に書いた「不安になったり悩んだりする自分に感じる魅力や快感」の正体を書いておきましょう。

「悩むことでエネルギーや気力を失ってしまえば、何もしなくてすむ」

たったこれだけのことです。

一方の「平安な心」のメリットは、あなたが「考えたい自分」との綱引きに勝って妄想を手放すたびに判明していきます。「ああ、もうこの素晴らしさを味わったら二度とあの闇には戻れない」と思うまで、根気よく続けてみてください。

私も日々、この勝負に挑んでいます。いつでもその支えになってくれるのは、

「自分は尊厳のある存在か、それともちっぽけな存在か?」

という問いと選択です。

ここでいう尊厳とは、誰かと比べて感じるような傲慢な類いのものではありません。ひとりの状態の自分が絶対的な尊厳をもっているかを問うているのです。

未来の妄想に心を支配されず、背筋をピンと伸ばして「いまここ」で自分の役割をまっとうしたい。「恐れや不安」ではなく「愛」に基づく行動をしたい。

そんな尊厳のある自分が綱引きに加わってくれるから、ギリギリでもなんとか勝てているのだと思います。