赦す勇気を得るために気づいておきたいこと

今日はこんな質問から始めてみようと思います。

「周囲の人の目に、あなたはどのような人物として映っているか?」

できるだけリアルにイメージしてみてください。

私もいままさに、「自分がどのような人物に映っているか?」を考えています。ただ、どうしても本やブログを書いている人、音楽をやっている人など、表面的な映像しか浮かんできません。

どうやら、不特定多数を想定してこの質問に答えるのは簡単ではないようです。

では、先の問いをもっとイメージしやすいものにアレンジしてみましょう。まず、「周囲の人」を次の3つのグループに分けます。

A:職場や取引先など、仕事関連の知り合い
B:それなりに親しい友人
C:家族や恋人など、もっとも親密な人たち

そのうえで、A、B、Cからそれぞれ特定の人を2、3人を選抜して、今度は、

「○○さんの目に、あなたはどのような人物として映っているか?」

を、同じくリアルにイメージしてみるのです。

どのような結果が出たでしょうか。私の場合、この問いに答えることで、まず2つの気づきがありました。

① どのグループかにかかわらず、私の印象は人によって微妙に異なる。
② Aの目に映る自分はこれ、BやCの場合はこれなど、グループごとの傾向はない。

そして、もっともショッキングだったのが、この事実です。

③ もっとも親密な人であっても、私のすべてを知っているわけではない!

私という人物を、頭の中から足の先まで完璧に知り尽くし、私が「自分とはこうだ」と感じているのとまったく同じように見ている人は、この世にひとりもいないということです。

3つの気づきはあくまで私のものですが、おそらく、あなたの結果も大差はないはずです。なぜならば、そうなる理由が同じだからです。

①の「人によって自分の印象が異なる」のは、私たちが相手によって振るまい方を変えるからです。

同じあなたが、優しく接する人もいれば、適当に受け流しがちな人もいるでしょう。敬意を払っている人、見下している人、リラックスして話せる人、緊張してしまう人など、私たちの対応は相手に合わせてカメレオンのように千変万化します。

当然ですが、日々、そんなあなたの姿を見ている人は、あなたが振るまったとおりに「親切な人」「そっけない人」「かわいいヤツ」「ムカつくヤツ」と、それぞれにまったく違った印象をもつことになるのです。

②の「グループごとの傾向はない」のも同じ理由です。あなたの振るまい方を決めているのは、仕事かプライベートか、自分との関係がどうかなどの客観的な何かではなく、あくまでその人物をどう感じているかといった、主観的な要因です。

相手が上司で自分が部下という同じ関係でも、極度に緊張させられる人もいれば、まるで兄弟のようにリラックスできる人もいます。やはり私たちは、個人のキャラクターに応じて、違う自分を出しているのだと思います。

③の「自分のすべてを知っている人はいない」理由はいうまでもなく、そんなことは不可能だからです。そもそも私たちは、自分自身のことさえ完璧には把握できてはいません。だとしたら、他の人にそれを求めること自体、無理な注文ということになります。

さて、ここまではすべて前置きです。今日、私が伝えたいのは、この話を反転させると、

「人を赦すための大きなヒントと勇気が得られる」

という点です。どのように活用するか、実際にやってみましょう。

あなたがいま、「コイツは許せない!」と思っている人をひとり思い浮かべてください。幸いなことに、「そんな人はいない」という場合は、なんとなく苦手と感じている人や、最近、あなたをイラつかせた人でもかまいません。

まず、あなたの中で、その「許せない人」についてのキャラクター設定がすっかり完了していることを確認してください。あなたはその人を、「間違いなくこういう人物である!」と見ているはずです。

そのままの状態で、もし誰かから「まぁまぁ、そう邪険にせずに許してやってよ」と頼まれたとしたらどうでしょう。

「ええ?」と戸惑いながらも、あなたは目を閉じて彼や彼女に抱いている印象を頭に描き出します。その映像を見た瞬間に胸がムカムカとしてきて、「そんなことは絶対にムリ!」と言い放つでしょう。

ここで、先の問いから得た③の気づきを、次のように言い換えてみてください。

「彼(彼女)のことを完璧に理解している人はこの世にひとりもいない」

これによって、あなたがいま思い浮かべたイメージは、けっしてその人の正しい姿を描写したものではないという事実が判明します。

だとしたら、あなたは次の可能性を手に入れたことになります。

「なるほど、これがこの人の全貌ではないのか。私には見せていない別の一面が、この人にはまだいくつもあるということか!」

つい先ほどあなたが見た、あのムカつく映像を書き換えられるかもしれないという可能性です。

すかさずもうひとつの気づき、①を次のように言い換えてください。

「彼(彼女)の印象は人によって微妙に異なる」

この事実を思い出すことで、この人との関係を劇的に変えられるかもしれない、すごい糸口がひとつ見つかります。

ここでは、「なぜ人によって印象が異なるのか?」の理由が重要です。すでに書いたようにそれは、「相手をどう感じるかによって、自分の振るまいを変えている」からでした。

これも言い換えてみましょう。

「彼(彼女)は、私が発する雰囲気に反応して、そう振るまっていたのか!」

あなたが相手に対して醸し出している何かが変われば、それに呼応して、彼や彼女の振るまいも変わるかもしれないということです。

あなたと「許せない人」のあいだには、これまで考えたこともない新たな可能性や糸口があることがわかりました。

あとは、あなたの意志にかかっています。もちろん、「そうはいってもね……」と、これまでどおりにやり過ごすのもわるくありません。

でももし、あなたのまわりから平安を乱す人をひとりでも減らしたいと思うなら、「いま私が見ているこの人には別の姿がある」という事実から勇気をもらって、

「赦す!」

選択をしてみてください。

そうすることで、相手はあなたの感じが変わったことに気づきます。そのバイブスに共鳴するように、けっして許せなかった彼や彼女は、あなたへの振るまいを改め始めるでしょう。

「許す」と「赦す」はまったくの別ものです。

前者は、相手のことを完璧に知っていて、その見立ても完全に正しいという前提のもと、石膏で固められた不動の人形のようなものを「許そう」とする行為です。よほどの特別な関係でないかぎり、これを実行することはほぼ不可能です。

これに対して「赦す」とは、自分も他の人も、

・ 対峙する人によって振る舞い方を変える流動的な存在であること。
・ 本当は、相手について何も知らないこと。
・ 何らかの「恐れや不安」を抱けばおかしな言動をする存在であること。

を認めて、グッドバイブスな相手の姿を見ようとする試みにほかなりません。

こちらは、時間さえ気にしなければ、いつかかならず成功します。だから、やればやるほど、あなたは平安でいられるようになるのです。

Photo by Satoshi Otsuka.