「あきらめる」のメカニズムを探ってみよう

今日は、「何かをあきらめる」ことについて考えてみようと思います。

ある日、自分にとってとても魅力的な何かに出会いました。そして、「できればずっとこのことに携わっていたい!」「これを仕事にできたらしあわせだろうな」と感じたとします。

あるいは、いまの仕事の中で「これを実現してみたい!」と思えるテーマを見つけたとします。もしくは、以前からずっと気になっていた何かについて、「そろそろ自分が納得できる形にしてみたい!」と思ったとします。

このような思いを、私たちは「夢」や「目標」「ゴール」などと呼びます。

ではここで質問です。

「どういう場合に、私たちはそれをあきらめなければならなくなるか?」

について考えてみてください。

いくつかの答えを私なりに想像して、勝手にツッコミも入れてみます(笑)。

答「自分には向いていないと気づいたから」
ツッコミ「何を根拠にそう思ったのでしょうか? そもそもやりたいと思ったことが、何よりもあなたに向いている証しなのでは?」

自分以外の誰かと比べることなしに、「向いていない」などという評価を下すことはできません。おそらく、ここでの根拠は「比較」にあるのだと思います。

答「2年後という期限を立てたが、そのときが来ても実現しなかったから」
ツッコミ「何を根拠にその期限を設けたのでしょうか? もし、あと1年か2年続ければ実現するとしたら、その期限にどれだけの意味があるのでしょう?」

たしかに、夢を実現するのに「2年間」などの制限時間が設けられていれば、やりたくても中止せざるを得ません。問題は、その期限が何によって決められたかですが、私たちの勝手な予測、勝手な希望というしかありません。

答「家族のことなど、それを続ける状況ではなくなったから」
ツッコミ「だとしたら、いったん休止したらどうでしょう。状況が変わったらまた始めればいいのではないでしょうか?」

「夢を追い続ける」という言葉がありますが、なぜ続けなくてはならないのでしょうか。なぜ中断してはいけないのでしょうか。あるいは、フル回転する状況でないとしたら、思い切ってスピードを落としてゆっくり進むという選択肢もあります。

ほかにも「あきらめる理由」はいくらでも出てくるでしょう。けれども、ここで挙げた3つのポイントさえわかっていれば、多くの場合、その理由を無効にすることができます。

① ある時点の結果や出来について人と「比較」しない
② 頭で想像した予測や希望に基づく「期限」を定めない
③ 状況が継続を許さなければ、「中断」や「減速」を受け入れる

これで、私たちの辞書から「あきらめる」という言葉は消えてなくなります。

「やる!」と決めたら、文字どおり一生を捧げるつもりで、カメのように焦らずマイペースで、人と比べず淡々と、あなたが思い描く夢を少しずつでも実現させればいいのではないでしょうか。

Photo by Satoshi Otsuka.