これまで、3話にわたって「理想の自分」「有意義な時間」「自己実現」のすべてが、イリュージョンであることを疑ってきました。
基本的にはどれも、しあわせの条件を自分の外側に置き、「自他が競合する」ことを前提とした発想です。同時に、「人生は短い」という「恐れや不安」に基づく未来志向によって、「いまここ」にいることを難しくする考え方でもあります。
『グッドバイブス ご機嫌な仕事』では、これらを「バラバラ意識」と呼びました。
多くの場合、イリュージョンの反対側には現実があります。だとすれば、「バラバラ意識」の対極にある「ひとつ意識」の世界から眺めてみれば、「自分とはどういう存在か?」を知るための、別の方法が見つかるということになります。
そこで今日は、4話連続の完結編として、前話の最後に書いた、
「自他の利害が完全に一致した状態で、他の人たちとのつながりの中で、自分とはどういう存在かを教えてもらう旅」
を実践形式でたどってみようと思います。
まずはここから始まります。
① 自分だけは特別でありたいという思いを手放す。
「特別であろう」とする代わりに、このシリーズの「理想の自分になるというイリュージョン」で書いた、
「私たちすべてが、完全に等しい価値と創造力をもって生まれてきた」
という事実を受け入れます。
そもそも、あなたが特別であるためには、「平凡な他の人という背景」が必要です。オセロでいえば、あなただけが白で、他の人たちはみな黒の状態でいてくれなくてはなりません。
それを自分のまわり創ろうとすれば、あなたは必然的に、
「他の人が特別である機会を奪う」
ことになります。
そのような不毛な白か黒かの争いから脱出して、もう一度、あなたのまわりにいる人たちを見渡します。スキルや能力などのあとづけの価値ではなく、彼らが生まれながらにもつ「自分と完全に等しい価値と創造力」のほうに目を向けてください。
人によって好き嫌いは感じるかもしれませんが、それは76億個の違いと個性によるものです。それぞれの奥底にある価値と創造力には何ひとつ影響するものではありません。
そうしておいて、
「あなたが得たいと思っていた特別性を、そのままの形ですべての人に与える」
ようにしてください。
この瞬間に、いっさいの努力をすることなく、あなたも「特別」であることが確定します。
とても単純な話です。「理想の自分」や「自己実現」は、この世界から切り離された状態で思い描く「なりたい自分」です。
ところが、私たちはけっしてひとりで生きているわけではありません。あらゆる事柄は他の人たちとの「つながり」の中で形作られていきます。もちろん、「自分とはどういう存在か?」もしかりです。
だからこそ、「自分だけは!」のイリュージョンから抜け出して、
「あなたが見たいと願う自分を、他の人たちの中に見る」
という姿勢を保っておくことが大切なのです。
なんとなくでもこれができたら、次に進みます。
② 「知っている」を手放して、目の前にある役割を本気で実行する。
まず、「どんな自分になりたいかを、私は知っている!」というイリュージョンを手放します。私たちは知っているようでいて、自分についても本当のことは何もわかっていません。
前話で書いたように、実現したい自己にしても、「あなたを評価してくれる他者の価値観」というノイズが混入していて、「心からそうなりたいと思うのか?」の答えはもう自分では出せない状態になっているはずです。
何かのヒントを見つけたとしても、「これをやってみたいけど、お金になりそうにない」「興味はあるけど、これは自分には不利な道かもしれない」などの葛藤が、かならずあなたの目を曇らせることでしょう。
そこでいったん、あれこれと考えることをやめてみるのです。思考停止という意味ではありません。頭の中でイリュージョンを創り出すのを中止して、
「たしかに、そしてすでに、この世界の中にいる自分」
という現実のほうを見に行くということです。
どれだけ微かであっても、無意識であっても、あなたはいま、その場所で、生まれた瞬間から手にしている価値と創造力と個性を発揮しています。だから、そこにいるのです。
「いや、自分はこんなところで停滞しているような人間ではない」と感じているかもしれませんが、それもまた「意味づけ」である可能性を疑って、いま自分が置かれているすべての状況を受け入れてみます。
そのうえで、あなたの目の前にある役割を全力で果たしてください。
多くの場合それは、
「他の人からの依頼」
という形でやってきます。
ここでは、次の3つの場所を想定しておいてください。
A:あなたの職場
B:あなたの家庭
C:それ以外のすべて
ABCの3か所からあなたに寄せられる依頼を、いっさいの切り分けなく「自分の役割」とみなすようにします。これは仕事だから、これは家のことだからなどの区別をしないということです。
Cは通勤時間や、休日に訪れるあらゆる場所など、AとB以外の人生全般でやってくる依頼を指します。見知らぬ人に道を聞かれる、電車で自分の前に高齢の人が立っている、小さな子供が目の前で転倒したなどの機会がこれにあたります。
おそらく、あなたの中にはまだ、いま挙げたすべてを本気で行うことに、迷いや抵抗感のようなものがあるでしょう。それは、このシリーズで書いた、
「有意義な時間を過ごさなくてはならない!」
という信念からくる葛藤です。
Aの職場で依頼された仕事を見て、「こんなことを繰り返していて何になるんだ?」と失望したくなるかもしれません。Bの家族からの突然の依頼に「なんで大事な時間に割り込んでくるんだよ!」と憤りを感じたくなるかもしれません。
そんなときは、同じ記事で書いた、
「時間の過ごし方を判定する審判として、自分ほどあてにならないものはない」
という事実を思い出してください。
ここでも「自分は本当のことは何も知らない」を心から認めることが大切です。
自分の過ごす時間に「有意義」や「無意味」のラベルを正確に貼ることは不可能です。ある行動が何につながり、どのように花開くかは、私たちの予想をはるかに超えているからです。
つまり、「目の前にある役割を本気で実行する」とは、
「何も知らない自分が、勝手にムダと決めていたことに、いっさいの先入観をもたずに、全力で再チャレンジしてみる」
という試みでもあるのです。
現実として絵を描けない人にイラスト制作の依頼は来ません。踊りができない私に、仕事であろうと、ただの余興であろうと、生涯を通じてダンスの依頼が一度も来たことがないのと同じです。
ただ、「苦手だ」「好きではない」と感じている依頼が来ることはあります。なぜならば、
「あなたよりも、他の人のほうが、あなたを知っている可能性がある」
からです。
私が、他の人からの依頼こそが、この旅の有力な羅針盤になると信じる最大の理由がここにあります。
この文言を読んで、なんとも言えない気持ちわるさを抱く人も少なくないでしょう。おそらくそれは、
「自分の人生は、自分ですべてを決めて、自力で切り拓くもの!」
というイリュージョンによるものです。
この幻影を振り払うために、最後のステップに行きましょう。
③ 本気モードから見えてきた何かに身を委ねる。
目の前の役割を信頼できずに、「有意義か無意味か?」の葛藤で力を発揮できずにいる状態では、あなたの個性は他の人から見えにくくなっています。
誰のためであれ、どんなことであれ、全力で行うたびに、あなたの身体からまぶしいばかりの光が放たれているとイメージしてください。
この光が強くなればなるほど、あなたへの依頼は「あなたが果たすべき役割」に近づいていきます。あなたと「つながり」をもつ他の人たちが、あなたという存在をさらに理解するようになるからです。
同時に、本気モードを発揮できたあなたは、頭で考えてもけっして見えてこなかった何かを発見するはずです。それは、拙著『グッドバイブス ご機嫌な仕事』で書いた「好き」や「得意」かもしれません。
あるいは、以前の「理想の自分」や「自己実現」の発想では絶対に選べなかった、
「一見、お金にならなそうなことや、多くの人に認めてもらえそうにないこと」
を、自分の「しあわせな役割」にしたいと思う気持ちかもしれません。
そこでぜひ、
「他の人の評価や、他の人との比較から解放されて、真に自由になる!」
選択をしてもいいと自分に赦して、「見えた何か」に身を委ねてください。
これが、
「自他の利害が完全に一致した状態で、他の人たちとのつながりの中で、自分とはどういう存在かを教えてもらう旅」
の全貌です。
実はこちらの旅も「自己実現の旅」と同じように、終わりはありません。②と③を繰り返しながら、毎秒、毎分、自分の役割がリアルタイムに変わっていくのを目撃することになるでしょう。
ただし、こちらの「終わりなき」は、苦しみが果てしなく続くのではなく、「楽しい時間は終わってほしくない!」というほうのエンドレスです(笑)。
「理想の自分探しの旅」や「自己実現の旅」に疲れたと感じたなら、もうひとつの「例外なく特別な人たちとつながるコース」もあることを思い出してください。
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