深い霧を払いのけて「本来のその人」を見る

バックナンバー「相手の怒りを放置すれば真の平安は訪れない」で書いたように、グッドバイブスの真のゴールは「自分だけの心を整える」ことではありません。

たしかに、「意味づけ」や「未来の予測」など、数々の妄想を手放すことで、あなたの中の苦悩を取り除くことはできます。けれどもそれは、最終地点に到達するための「入り口」にすぎません。

そうして得た「平安な心」をもって向かう先は、拙著『グッドバイブス ご機嫌な仕事』や、このブログで繰り返し書いてきた、

「私たちすべてが、絶対不変の価値をもって生まれてきた」

という事実を、1ミリの疑いなく確信するというゴールです。

私はことあるごとに、このことを無条件に信じてほしいと提案してきました。それも、さまざまなメソッドを実践し始めるスタートのところでです。

それはまるで、これからエベレストの頂上に登ろうという人に、「自分がすでに登頂に成功したと思ってほしい」と訴えているようなものです。どう考えても、支離滅裂な話にしか聞こえないはずです。

それは私も十分にわかっているのですが、どんなときでも揺らぐことのない「平安な心」を保つためには、私たちが日々、創り出すイリュージョンを、自らの意志で消し去っていく「強さ」が必要です。

そしてその強さは、完全に腑に落ちないまでも、「自分には他の人と等しい絶対不変の価値がある」ことを前提にしなければ、発揮することはできないのです。

この意味で、スタートの段階で無条件に「絶対不変の価値をもって生まれてきた」と信じておくことは、グッドバイブスの仮免のようなものだと思ってください。

もちろん、この時点では、自分自身がそのような存在であると確信できる人はまずいません。「無条件で信じろと言うなら、そういうことにしておこうかな」程度の納得感であるはずです。

では、どうすれば私たちはこのことを確信して、仮免許を本免許にグレードアップできるのでしょうか。

残念ながらここからは、あなたひとりの努力ではどうにもなりません。「ああ、自分は本当に価値ある存在だったんだ!」と完璧に受け入れるためには、

「他の人の中に、自分と同じ絶対不変の価値が宿っていることを目撃する!」

しかないのです。

他の人の中に、たしかにそれがあることを事実として見て初めて、自分の価値も認められるようになるということです。

この意味で、グッドバイブスのゴールにたどり着くためには、

「ひとり以上の、あなた以外の人のサポート」

が必要になります。たとえばそれは、日々、あなたを悩ませている人です。

バックナンバー「人生からいっさいの攻撃を手放すという選択」で私は、何があっても「攻撃」という手段を封印することを提案しました。

それはすなわち、相手がどれだけ望ましくない言動をしたとしても、けっして報復はしないと決意することでもあります。

また、「グッドバイブスとひとつ意識の関係」では、相手の「おかしな言動」を、「恐れや不安によって生み出されたおかしな表現」と捉え、けっしてその人の人格までを否定すべてきではないと書きました。

そのうえで、たとえばあなたに怒りをぶつけてくる人に対して、

「怒りの原因である、相手の恐れや不安が何かを探る」

努力をし、それを和らげたり、解消したりする手伝いをするという、一般的にはとても耐えがたいと思うような試みを勧めてもいます。

なぜ、そもそも自分を不快にさせる人を、そこまで手厚く扱わなければならないのかと、大きな疑問や理不尽さを感じて当然だと思います。

このことに多大な時間と労力を費やす目的は、たったひとつしかありません。

「さまざまなノイズを取り払って、本来のその人を見る」

ためです。

私たちは、自分が嫌いだと思う人、苦手だと思う人、そして何よりも、いま目の前で自分を攻撃しようとしている人の中に、「自分と同じ絶対不変の価値がある」などとは、絶対に認めたくありません。

そこで、万が一にもそのようなやっかいなものを見てしまわないようにと、頭の中で「コイツはろくでもない人間だ!」というフィルターを創り出します。

たとえるなら、それをかけると、あらゆる人が世にも恐ろしいモンスターに見えるサングラスのようなものです。

もちろん、そうして目に映る相手の姿は「イリュージョン」です。この幻影を相手に渡り合いながら、私たちの多くは、早々に他人を信じることをやめ、

「できれば、人とは関わり合いたくない」

という、「分離」の選択を行うようになるのです。

このとき、私たちは、自分自身もその「人」であることをすっかり忘れています。実は「他人は信じられない」という判断は、必然的に、

「つまりは、同じ人である自分も、結局は信じるに値しないのかもしれない」

という自分への不信に帰結してしまうのです。

ほかでもない、この出口のない負のループから抜け出すために、先に挙げたような「一般的にはとても耐えがたいと思うような試み」を行うと考えてください。

まず、あなたの前には、

「数メートル先も見えないような深いイリュージョンの霧」

が立ちこめています。

いっさいの攻撃を手放し、相手の「恐れや不安」を探す努力は、この霧を払いのけながら前に進むようなものです。しばらく行くと、道の途中に、相手におかしな行動をさせている「原因」らしきものが落ちています。

「これかなぁ?」と拾い上げて、それを和らげたり薄めたりしながらさらに少し歩きます。すると突然、相手の影のようなものが現れます。近づいて様子を見てみると、相変わらず怒りに顔を歪めた彼が立っていました。

「ああ、まだこれは、この人の本来の姿ではないな」

あなたは瞬時にそう察して、落胆することも、失望することもなく、もう一度、霧をかき分けながら先へ先へと歩を進めます。

2つめの影も3つめの影も、4つめも5つめも、同じようにおかしな行動をする彼でした。それでもあきらめることなく、道に散在する「恐れや不安」を拾い集めては捨て、拾っては捨てを繰り返しながら、さらにさらに奥深くへと入っていきます。

さすがに、「もうダメかもしれない」と思ったそのとき、永遠に続くかと思えた暗い霧がパッと晴れて、それまで見ていたぼんやりとした世界とはまるで違う、リアルでくっきりとした光景が目の前に広がります。

そこに立っていたのは、

「あなたがずっと見たいと望んでいた、穏やかで平安な本来の彼」

でした。

いっさいの「恐れや不安」をもたないその人を見たあなたは、驚きと感動の中で、最初にこう確信します。

「私はようやく、この人の中にある絶対不変の価値を目撃した!」

それは同時に、

「だとすれば、私の中にも、彼とまったく同じ価値があると信じていいんだ!」

という地点、すなわちグッドバイブスの究極のゴールにたどり着いたことを意味するのです。

さて、今日の話は長い長い前置きです(笑)。

でも、このメカニズムのようなものを共有しておかなければ、以前に予告した「本気モード」によって得られる恩恵のひとつ、

④ 「与えるすごさを実感できる」

の、どこがすごいのか、まるでピンとこないでしょう。

なぜ、自分以外の誰かのために本気になるのか。なぜ、膨大な時間と労力を、自分ではなく他の人のために使うのか。明日はその答えを書こうと思います。