グッドバイブスに失敗したときの立て直し方

今日はこんな話から始めてみようと思います。Aさんはとある銃規制のない国のスラム街に住んでいます。Bさんは日本の、のどかな田舎に住んでいます。

地球のほぼ真反対にいる2人はある日、ソーシャルメディアで出会い、友だちになりました。しばらくは楽しく会話を交わしていましたが、ひょんなことから、

「この世界は安全か? 人は信じられるか?」

の見解をめぐって激論を始めてしまったのです。

昼夜を問わず丸腰では外を歩けない環境で暮らすAさんは、「安全どころか世界は危険きわまりない場所で、信じられるのはごく一部の身内と自分だけ!」と主張して譲りません。

これに対して、ドアに鍵を掛けずに外出するのがあたりまえの、アットホームな村で暮らすBさんは、「世界も人も、君が言うほど絶望的ではない!」と頑なに反論します。

おそらく、どれだけ長い時間をかけて話し合ったとしても2人が合意することはないでしょう。なぜならば、この議論の重要なベースとなる、

「他の人や世界をどのように見ているか?」

が完全に食い違っているからです。

拙著『グッドバイブス ご機嫌な仕事』が出版されてもうすぐ8か月が経とうとしています。これまでに、たくさんの人から「グッドバイブスにチャレンジしています!」という、本当にありがたいメッセージをいただきました。

ただ、「人生が一変しました!」「悪夢をまったく見なくなりました!」などの吉報がある一方で、「どうしてもうまくいかない」「できたと思ってもすぐに元に戻ってしまう」といった悩みが寄せられることも少なくありません。

そこで今日は、いまでもあきらめずにトライしてくださっているみなさんの一助となることを願って、「グッドバイブスの試みに失敗したときの立て直し方」について書いてみようと思います。

まず、「しあわせに働くこと」をメインテーマに掲げた拙著が、一見、まったく関係なさそうに見える「ひとつ意識」と「バラバラ意識」という、ややぶっ飛んだ話から始まることを思い出してください。

そして、その話題に入るきっかけとして私が提示した問い、

「もしかしたら、自分はこの世界の姿を見誤っているんじゃないか?」

に注目してほしいのです。

もし、「恐れや不安」を感じて心を揺らし、怒りや憤りなどの攻撃という手段によって自分を守ろうとしているなら、あなたは「バラバラ意識」にいます。

それはすなわち、この世界を、

「孤独で弱い自分が、多くの敵に囲まれて生きる、過酷で厳しい場所」

と見ているということです。

残念ながら、どれだけ努力を重ねたとしても、他人や世界をそのように捉えながら「完全無欠のしあわせ」や「ご機嫌な仕事」を実現することはできません。

そこで、私はその真逆の、

「まるで相手とひとつであるかのような、静かで穏やかな世界」
「森羅万象が母親のように自分を包み込む、完璧に平安な世界」

もありえるという可能性を提案したのです。

その根拠のひとつは「あなたの心」にあります。困っている人や苦しんでいる人を目撃したとき、損得や利害を超えて「この人のために何かできないか?」と思わずにはいられない、「バラバラ意識」とは完全に矛盾する「あなたの心」です。

人生をかけて「世界の見方を変える!」と決意するには、あまりに脆弱で頼りない根拠かもしれません。けれども、「ひとつ意識」を完全に否定したり、「バラバラ意識」を絶対と肯定したりする決定的な証拠がないことも事実です。

つまり、

「バラバラ意識とひとつ意識の信憑性は、どこまでいっても五分五分」

なのです。

そこで冒頭の地球の真反対に住む2人の話が鍵となってきます。

グッドバイブスの試みがうまくいかなかったとき、あなたは、Aさんの「スラム街」と、Bさんの「のどかな田舎」と、どちらにいる前提で、他の人やこの世界を見ようとしていたでしょうか。

けっして、「あなたはそのとき、ひとつ意識をもっていたか?」と聞いているわけではありません。「ひとつ意識」は目指す地点で、グッドバイブスの試みはその入り口です。ドアも開けてもいないのに、部屋の中に入れる人などいるはずがありません。

そうではなく、本当に、

「自分の見方が変われば、この世界も一変する!」

と確信していたでしょうか。

もし、「自分がいい感じになっても、嫌な人たちはいなくならないし、過酷で厳しい世界もそのままだろう」と考えていたとしたら、Aさんの「スラム街」に暮らしながら、「自分だけはグッドバイブスでいたい!」と願うようなものです。

すでに書いたように、そのような試みが成功することはありません。

もしかしたら、「ひとつ意識など絵空事。バラバラ意識こそが現実」とあきらめたうえで、「まわりの敵に動揺しないため」というズレた目的の手段として、グッドバイブスを使おうとしていたのかもしれません。

「攻撃されたら応戦しないと、相手の思うつぼになってしまう」
「相手を赦してしまうと、自分だけがやられ損になってしまう」
「望ましくない未来を予測しておかなければ、ひどいめにあってしまう」

どうしてもそんな「意味づけ」や「妄想」をする誘惑に勝てないときは、毎回、

「いま自分は、これからもずっと危険地帯で暮らすことを選択しながら、グッドバイブスであろうとしていないか?」

を疑ってみてください。

まったくもって「卵が先か鶏が先か?」としか言いようがありませんが、たとえそれを実感していなくても、

「ここがひとつ意識の世界である可能性は半々だ。それが見られるのなら、なんとしても見てみたい!」

というあなたの「意志」なしには、グッドバイブスはけっして達成しないのです。

そしてもうひとつ、この試みを成功させるには、次の3つを信頼する「意志」が必要です。こちらもやはり「鶏と卵」です。何かの結果を拠り所にするのではなく、無条件に信頼するところから始めてください。

・自分を信頼すること
・他の人を信頼すること
・この世界を信頼すること

いま、「いやいや、それは危険すぎるでしょ!」と言いたくなったとしたら、まさしく、今日の記事を書いた意味があったのだと思います。ぜひ、その感覚を目安に、自分がどちらの世界にいようとしているかを見極めてください。