自分に対して下した判断や結論を取り消そう

このブログで過去に何度かお伝えしてきたように、私たちが日々、行っている「意味づけ」の本質は、

「そうでない可能性があるにも関わらず、そうであると結論づけること」

にあります。

つまり、「意味づけを手放す」とは、

「そうでない可能性があることを受け入れ、いったん自分が下した判断や結論を取り消すこと」

にほかなりません。

拙著『グッドバイブス ご機嫌な仕事』ではこれを、怒りや不機嫌さを消し去り「平安な心」を保つのに有効な方法として紹介しました。けれども、そのような効果は「意味づけを手放す」ことで得られる恩恵のほんの一部にすぎません。

今日はある意味で万能ともいえるこのメソッドが、私たちの人生にどんな変化をもたらしてくれるのかについて書いてみようと思います。

結論から言うならその最大のメリットは、

「自分自身も含めた、世界の見え方が大きく変わる可能性」

を得られることです。

仕組みはいたってシンプルです。私たちは「そうでない可能性があるにも関わらず、そうであると結論づけること」によって、自分が信じる現実を固定化します。

「私はこれができない」
「あの人とは相性がわるい」
「もう、この事態を好転させる手立てはない」
「このプロジェクトは失敗する」

このように結論づけた事柄は、よほどの幸運に恵まれない限り、あるいはあなた以外の人が強烈にその反対の可能性を信じていない限り、ほぼ100パーセントそのとおりの現実としてあなたの前に現れます。

実はこのとき、私たちは2つの道の分岐点に立っています。

① 「自分はいま何が起こっているかを完全に知っている。だから自分の判断は絶対に正しい!」
②「もしかしたら、自分には計り知れないことがあるのかもしれない。だとすれば、自分の判断は正しくない可能性がある!」

①に進むとするなら先に書いたとおり、「できない」と思ったことはできないし、「失敗する」と判断したものは失敗することになります。

②に進むことによって、私たちは「意味づけ」を手放すこと、すなわち「そうでない可能性があることを受け入れ、いったん自分が下した判断や結論を取り消すこと」ができるようになります。

ぜひ、②を選ぶと何が変わるかに注目してください。

「①の道ではけっして見えなかった、無数の選択肢が目の前に広がる」

ようになるのです。これが「意味づけを手放す」ことの究極の目的です。

拙著で紹介した方法によって怒りや不機嫌さをもたずにすむのも、まさにこのメカニズムによるものです。

「相手が完全に間違っている」「自分は絶対に理不尽な目に遭っている」という判断を取り消すことで、怒らず不機嫌にならずに対処するという「別の選択肢」が姿を現しただけのことです。

さて、「意味づけを手放す」ことの仕組と効果が判明したところで、さっそくこれを活用してほしいジャンルがあります。それは、

「自分自身に対して行っている判断」

です。

とくに、あなたが劣等感をもっている部分、以前からずっと不満に感じている部分、他人と比較して圧倒的に弱いと思っている部分などに、このメソッドをあてはめてみてください。

才能、容姿、適性、性格、人間性などに対する不安はもちろん、「自分は無価値である」「自分は無能である」といった、根本的で本質的な評価にも適用できます。

それら諸々の、あなたが結論づけてしまったことに対してこう宣言します。

「もしかしたら、自分自身について私は何も知らないかもしれない。だとすれば、自分に対するマイナスの判断はどれも正しくない可能性がある!」

ただし、ここで「自分の判断が正しくない根拠」を探そうとはしないでください。

もし、あなたが自分のある部分に劣等感をもっているとするなら、そこにはさまざまな理由があるはずです。いままさにその理由と、それによって下した判断が「正しくないかもしれない」ことを受け入れようとしています。

だとしたら、「なぜ正しくないと言い切れるのか」の根拠についても「知らない」ことを認めなければつじつまが合いません。自分が劣等感をもつべき存在なのか、そうでないのか、どちらについても絶対に正しい判断はできないということです。

これであなたは、極めてフラットな状態に戻れます。「で、自分は優秀なのか?」の答えは依然として闇の中ですが、同じ理由で、「自分は劣等感を抱いて生きるべき存在である」と結論づけることもできなくなります。

これが、「自分自身も含めた、世界の見え方が大きく変わる」瞬間であり、結論を正しいと信じていたときにはけっして見えなかった「無数の選択肢が目の前に広がった」状態でもあります。

あとはその新たなスタート地点から、「やりたくてもできなかった」「恐くて手が出せなかった」「自分ごときがありえない」「無理に決まってる」と結論づけていたことたちに、幼児のようなまっさらな気持ちで向き合い直せばいいだけです。

どれだけ厳しい状況に置かれたように見えても、私たちにはこの奇跡のような脱出方法が残されていることを忘れないでください。