先日、ある企業で管理職に就くAさんからこんな相談を受けました。
「うちの部署のS君のことが気になるんです。彼は自分の考えや感情をあまり表に出さないタイプで、口数も少なく、いつも淡々と仕事をして帰ります。彼がもっと心を開いてくれたらいいと思い、親睦会などにも誘っているんですが、来ても相変わらず寡黙なままで……」
「そんなS君の性格や態度が、職場で問題になっているんですか?」と私がたずねると、Aさんはこう答えます。
「いや、彼の仕事ぶりはまったく問題ありません。難度の高い業務を担当していて、仕事量も他の人より多いくらいです」
「では、何が気になるんですか?」と質問したところ、ようやくAさんの懸念が判明します。
「本当に楽しく働いているのか心配なんです。いつか不満が爆発するんじゃないかと。何しろ本音を言わない子なので……」
この相談に対して私が出した結論は次のようなものでした。
倉園「S君のそんな感じを、心配するのではなく尊重してみたらどうでしょう。いい仕事をしてくれているならなおさらです。彼が何かを言ってくるまで、そっとしておいてあげるのがいいと思います」
いかがでしょう。なんとなく、聞いたことがある話のように思えないでしょうか。今日は、Aさんの悩みを解決するための鍵となる「チームにおける個性の捉え方」について書いてみようと思います。
まず、チームと個性の関係について整理しておきましょう。私はうまく機能するチームの条件を次のように考えています。
「できるだけ異なる個性をもつ人が集まること」
拙著『グッドバイブス ご機嫌な仕事』 の第4章で、漫画『サイボーグ009』や映画『オーシャンズ11』『7人の侍』について書きました。すべての話に共通するのは、全員が特殊な能力をもつスペシャリストであり、てんでんばらばらの個性の集団だという点です。
この手のチームが最強である理由はとても単純です。メンバーの個性が違っていればいるほど、多種多様な問題を解決できるからです。強みのバリエーションが抱負かつ、それぞれの弱点を互いに補い合える、いわゆるドリームチームなのです。
ただし、こういうチームを束ねるリーダーはあることを覚悟しなくてはなりません。それは、
「けっしてひとりの人間が頭で思い描くような理想の型には収まらない」
ということです。
たとえば、情熱的で、熱血漢で、お祭り好きな気質のリーダーがいたとします。彼はおそらく、同じ想いを抱く仲間が一致団結して、ときには真正面からぶつかり合い、ときには一緒に涙を流し、何かをやり遂げたあとには全員で美味しい酒を酌み交わすといった、部活や学園祭で味わったような感動を分かち合えるチームを作りたいと願っているでしょう。
もちろん、年度末やプロジェクトの完了などの節目には、何らかのイベントを企画してメンバー全員と盛り上がりたいと考えます。
ところが、先に書いた「てんでんばらばらの個性の集団」の人たちは、リーダーの期待とは裏腹に、「さ、終わった。早く帰ってゲームのレベ上げしよう」「お酒は苦手だし、大人数の集まりもダメなんでパス」と、それぞれの思惑どおりに行動したがります。
そんな様子を見たリーダーは、ひどく失望しながらこう思うでしょう。
「これは大問題だ。もっとひとつにまとまらないとチームがダメになってしまう」
翌日には人事部にかけあって福利厚生費を増やしてもらい、「コミュニケーション施策」と称したさまざまな時間外活動によって、彼のいうところの「大問題」を解決しようとします。
残念ながら、それは大問題でも何でもありません。単にこのリーダーが「チームにおける個性の捉え方」を大誤解しているだけの話です。彼は3つのことを取り違えています。
ひとつは、
「すべてのメンバーが仕事をすることを目的に集まっている」
という点です。
チームがうまく機能しているかどうかは、徹底的に仕事の現場で、仕事のプロセスや結果だけを見て判断すべきです。
そもそも、打ち上げの出席率と仕事に対するコミット度合いに相関関係はありません。個性派集団を束ねようとするなら、まずはそこをスパっと切り分けることが大切です。
よくベテランの芸人コンビが、プライベートはもちろん楽屋も供にしないと言います。私は自分のバンドや仕事で結成するチームには、好んでこのやり方を適用しています。
ふたつめは、
「リーダーから見て理解に苦しむ人は、リーダーにない個性をもっている」
という点です。
口数の少ない人は凄まじい集中力をもっている可能性があります。集団から離れてひとりでいるタイプの人は、他の人が見落とす穴に気づく能力に長けている場合もあります。あまり笑わない人は、哲学者のように思慮深いかもしれません。
本来、理解不能な人がチームにいるのは喜ぶべきことです。そして、本当の意味で相手を理解するとは、その違いの反対側でどんな能力が発揮されているかを見ることにほかなりません。まさに、拙著で書いた「凸と凹のハーモニー」なのです。
最後は、
「ひとつになるとは、一致団結することとは違う」
という、この話でもっとも重要なポイントです。
真の個性派プロ集団は、全体のスケジュールやコンセプト、ゴールは共有しながらも、それぞれの感性に従って勝手に動き出すものです。
それは、足並みを揃えるとか、統率するといった世界の真逆といってもいいでしょう。中には「一致団結するのが嫌だ」という個性の持ち主がいてもおかしくないくらいです。
では、本当の意味での「ひとつになる」とはどんな状態を指すのでしょうか。私は次の一点が実現していればいいと考えます。
「チーム全員の利害が一致している」
具体的には次の3つの式、「メンバーの利=チームの利」「メンバーの痛み=チームの痛み」「他のメンバーの利と痛み=自分の利と痛み」がすべて成立しうる状態です。それはすなわち、「チームの中に誰ひとりとして敵がいない状態」が達成されていることを意味します。
先に上げた『サイボーグ009』や『オーシャンズ11』『7人の侍』はこの条件をクリアしているからこそ、チームとして完璧に「ひとつ」なのです。
拙著やこのブログ流に言い換えるなら、
「恐れや不安のない、ひとつ意識をもったグッドバイブスな集団」
ということになります。
冒頭に書いたAさんの相談に対する私の答え、「心配するのではなく尊重してみたらどうでしょう」の真意もここにあります。リーダーやメンバーがそれぞれの個性に「恐れや不安」を抱いているようではチームが「ひとつになる」ことなどあり得ません。
相手が何を考えているかわからないと思ったら、利害が一致する者として率直に知りたいことを聞けばいいだけです。もちろん、仕事の現場で仕事のプロセスの中でそれをすべきです。アルコールの力など借りなくてもできるはずです。
自分の性格や個性から発想する理想の形といった「正しさ」を手放し、集まった個性をありのままに見て「ああ、うちはこういう集合体なんだな」とその姿を受け入れること。可能な限り相手の行動を縛らず、判断せず、ほおっておくこと。
これが、最高に機能する「チームにおける個性の捉え方」だと私は考えます。
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