この世界から「嫌いな人」をゼロにする方法

今日は、「もしこの世に嫌いな人がひとりもいなかったとしたら?」という、常識では絶対にあり得ない想像をするところから始めてみようと思います。ぜひ、あなたもやってみてください。

どこに行っても、不愉快な思いをしないですむようになるでしょう。あらゆる人と一緒に仕事ができるようになるでしょう。トラブルから自分を守る必要がなくなるでしょう。自分の考えと相反する他人の意見を素直に聞けるようになるでしょう。

怒りや憤りを感じることが極端に少なくなるでしょう。初対面の人と会うことが苦でなくなるでしょう。自他の分離感が薄まるでしょう。これまでやりたくてもできなかった「愛に基づく選択」をすることに躊躇を感じなくなるかもしれません。

まだまだ挙げればキリがなさそうですが、おそらく、現在よりも何かがよくなることしかイメージできないと思います。それなのに、なぜか私たちは「嫌いな人」を創造することを一向にやめようとしません。

「嫌いな人を創造する? 自分はそんなことはしていない。ただ嫌いな人が自分の前に現れるだけだ」

と思うかもしれません。けれども、それは大きな誤解です。

拙著『グッドバイブス ご機嫌な仕事』にも書きましたが、好きな人や嫌いな人は、最初から「私はあなたが好きになる人です」「私はあなたが嫌う人です」などのラベル付きで登場するわけではありません。

その人の発言や立ち振る舞い、考え方、クセ、匂い、雰囲気などを受けて、あるときあなたが「この人を好きになる! 嫌いになる!」と意志決定した瞬間から、彼らはあなたにとっての好きな人や嫌いな人に変わります。

ほかでもない、私たちは、

「自分の意志によって、好きな人や嫌いな人を創り出している」

のです。

これもまた、私たちのもつ偉大な創造力の結果ということです。そして、この仕組みさえわかってしまえば、冒頭に書いた「この世に嫌いな人がゼロ」という夢のような状態を得ることが、けっして不可能ではないことがわかります。

その方法はいたってシンプルです。「この人を嫌いになる」という意志決定、すなわち創造をやめればいいだけのことです。

「いやいや、現実はそう単純ではないよ」と言いたい気持ちはよくわかります。わかっていてもやってしまうのが人の性です。そこでこの先、「ああ、この人を嫌いになってしまう!」と感じたときは、ぜひ、次のことを思い出してください。

まずはこう自問します。

「この人を嫌うことを、復讐の手段と考えていないだろうか?」

彼や彼女の言動によって、あなたは少なからず不快な思いを抱いたり、傷ついたりしているはずです。自分だけが「損をしている」状態といってもいいでしょう。

そこで、「このままでは不公平だ」と思うあなたは、相手を嫌うことで帳尻を合わせようとします。つまりは「復讐」です。このとき、「悔しい!」「気が収まらない!」と感じていることが、仕返しを欲している証拠だと思ってください。

そこで少し冷静になって次の選択をしてみます。

「このちっぽけな復讐を取るか? 嫌いな人ゼロのパラダイスを取るか?」

ゲームにたとえるならこれが最初のステージです。トライするかどうかはまさにあなた次第。あまりに精神的な負担が重いようなら、無理せずに嫌いになってしまってもまったく問題ありません。いつもの日常に戻るだけの話です。

幸運にもこの難関をクリアできたら、次の画家の話を思い出してください。

ある日、あなたはある画家の展示会に招待されました。会場をひとまわりして彼の絵をじっくりと鑑賞しましたが、残念ながらあなたの好みに合う作品はひとつもありませんでした。というよりもむしろ、「嫌いな絵」ばかりだったというのが正直なところです。

貴重な時間をムダにしたとやや失望しながらギャラリーを出ようとしたところ、出口にいた画家が、来場者に「今日はお越しいただき、ありがとうございます」と挨拶をしています。

その様子を見たあなたは、「ああ、絵は嫌いだけど、彼はわるい人じゃなさそうだな」と感じて、その場をあとにしました。

さて私たちは、不愉快な言動をする人を目の当たりにしたとき、「なんてひどい人だ!」とその人の人格ごと否定したくなります。

その前にぜひ、先の話になぞって、

「画家=人格」「絵=表現」

と捉えてみてください。

発せられる言葉とその人自身が、かならずしも同一ではないということです。「そうはいかない。自分は何があっても彼のようなひどいことは言わないもの」と思うかもしれません。

では、あなたはこれまでに、何らかの「恐れや不安」を抱くことによって、極度にビビっていたり、テンパっていたり、緊張していたりするときに、自分でも不思議なくらい「おかしな表現」をしてしまったことが一度もないでしょうか。

その様子を目撃した第三者から、「ああ、あなたはそういう人なんだね」と言われたとしたら、「いや、ちょっと待ってください。ふだんはこうじゃないんです!」と、必死に誤解を解こうとしないでしょうか。

あなたが「望ましくない」と感じる言動をする人は、例外なく「恐れや不安」を抱いていると思ってください。もちろん、それをどの程度、自制できるかの違いはあるでしょう。けれどもそのような誤差は、けっして人格まで否定されるほどの罪ではありません。

あなたも私も、そしてすべての人が、ちょっとしたことで心にもない言動を選んでしまう、弱くて、もろくて、

「おちゃめな存在」

だということです。

自分よりもはるかに地位や役職が上の人であっても、何十歳も目上の人であっても、この「おちゃめさ」は変わりません。相手が年下であればなおさらです。そもそも、おちゃめな人の「おかしな表現」に心を揺らす必要などなかったのです。

誰かを嫌いになりそうなときの決めゼリフはこうです。

「どうしたの? 何がそんなに恐いの?」

心の中でつぶやいてみてください。その瞬間にあなたはその相手を少しだけ赦せているはずです。

Photo by Satoshi Otsuka.