なぜ私たちは自分のことをよく知らないのか

拙著『グッドバイブス ご機嫌な仕事』もこのブログも、「私たちは本当のことを何も知らない」という事実に希望を見出そうとするものです。

この世界の本当の姿とは何か、仕事とは何かを見誤っているからこそ、目の前にある「嫌なこと」を「ご機嫌なこと」に変えられる可能性が生まれるのです。

そして実際に、私たちは本当に何も知りません。自分の未来がどうなるのか、ある人がなぜそのような態度をとるのか、自分と他の人はどこかでつながっているのか、それとも切り離されているのか、生命とは何か、そしてなぜこの宇宙や私たちが誕生したのか。

中でも、知っていそうで、実はもっとも知らないのが「自分とはどういう存在なのか?」ではないでしょうか。今日はこの最大のミステリー、すなわち「なぜ私たちは、いつまでたっても自分自身のことがよくわからないのか?」について考えてみたいと思います。

私はいつもこの謎について、2つの理由があると考えています。ひとつはとても単純です。

「自分で自分を見ることができないから」

鏡に映すか、写真やビデオに撮影するかすれば、なんとか自分らしき姿を見ることはできます。けれどもそれは、自分のある一瞬を切り取って2次元に加工した偽の映像にすぎません。

私はステージで楽器を弾きながら歌をうたっています。「今日は素晴らしかった!」などとほめられることもありますが、そのたびに「一度でいいから、自分の演奏している姿を生で観てみたい!」とはかない希望を抱きます。もちろん、それは絶対に不可能なことです。

さらに、やや高度な意味での「見えなくなる」現象も起こります。

私はかつて雑誌の編集長をやっていました。現在でもコンテンツマーケティングのコンサルや、企業のウェブサイトのプロデュースなども手がけています。

すべての仕事に共通するのは、自分以外の誰かが制作した文章や映像、レイアウトやデザインなどを「見て」、より内容が伝わるように、より多くの人の共感を得られるように、足りないものを加えたりよけいなものを削ったりすることです。

いちおう、私はそういうことのプロです。だとすれば当然、自分の創った作品に対しても、編集長やプロデューサーの視点で改善を施せるはずです。ところが不思議なことに、いつもならすぐに発見できる穴や過不足が、なぜか自分のものとなると「見えなくなる」のです。

だからこそ、かつて編集のプロであった私も、自分の著書を制作するためには、私ではない他の編集担当の力を借りることが不可欠となるわけです。

文字どおりの「見る」はもちろん、「理解する」という意味においても、やはり自分自身を客観的に「見る」ことは極めて困難です。これが「自分のことがよくわからない」最初の理由です。

ふたつめの理由はこれです。

「自分はこうであってほしいという願望が、他の人からの情報を拒絶するから」

細かいディテールをのぞけば、おおよそ私たちが望む「こうであってほしい」自分とは、「大金と地位と名声を十分に手に入れている自分」ではないでしょうか。

私たちはよく、「自分の強みを発見したい」「自分の適性を知りたい」と言います。もちろん、その目的も「こうであってほしい」自分に近づくためです。

では、ある自己診断テストを受けたとして、その結果が、「あなたはお金も地位も名声も手に入れられないタイプの人です」だとしたらどうでしょう。

おそらくあなたは、

「いやいや、そんなはずはない。このテストはインチキに決まっている!」

と言いたくなるはずです。

実際には、そんな夢も希望もない回答が出る自己診断テストなどありません。けれども、たとえば誰かに「あなたの強みはここじゃないかな?」と指摘された内容が、もし自分の望むものとかけ離れていたとしたら、それを受け入れたくないと感じるのではないでしょうか。

つまり、どんな診断を受けようと、誰に何と言われようと、「こうであってほしい自分」のイメージがある限り、私たちはそれらを全面的に認めることはできないということです。

先の「自分を見ることができない」に、「他の人の意見も聞きたくない」がミックスされれば、永遠に自分を知ることなどできなくて当然です。では、どうすればいいのでしょうか。

まずはひとつめの理由から、「自分だけでは自分のことを理解できない」という事実を認めることです。次に、「こうであってほしい自分」が本当にあなたが望むものなのかを見直すことです。

ぜひ、次のことを自問してみてください。

「いまイメージしているこうであってほしい自分は、誰かと比べてそうなりたいのか、世の中が評価するからそうなりたいのか、それとも、魂の叫びが聞こえるように、心の底からそうなりたいのか?」

「大金や地位や名声」は現在のトレンドとなっているひとつの価値感にすぎません。他の人がもっているという理由で、同じおもちゃをほしがる子どものような動機をもっていないか疑うということです。

最後に、バックナンバー「本気と引力がしあわせな役割に導いてくれる」で書いたように、仕事の依頼や何かのリクエストという形であなたを「引き寄せる」人に、「自分の役割」を教えてもらうことです。

まとめるとこうなります。

「自分を知らないという事実を謙虚に受け入れ、他の人に教えてもらった自分を判断せず、素直に受け取ること」

ポイントは「謙虚さ」と「素直さ」です。

そして何よりも、冒頭に書いたように、「知らない」には無限の可能性が秘められていることを忘れないでください。「自分とは何か?」が完全にわかってしまったら、私たちの人生は100回も観た映画のようになってしまうでしょう。

知らないことに不安を抱く必要はまったくありません。いや、知らないからこそおもしろいのです。