今日は、あなたの言動が「攻撃」や「防御」の形になる瞬間を見張っておいてください。
「怒りをぶつける」「ムッとする」「不機嫌な態度で接する」「否定する」「無視する」などはすべて「攻撃」です。
「不安な未来を予測する」「最悪の事態に備えて望ましくない意味をつけておく」「心を閉ざして壁を作る」などはどれも「防御」にあたります。
「防御」する目的はもちろん、「何らかの攻撃」から自分の身を守ることです。「不測の事態」もあなたのしあわせを脅かすある種の「攻撃」であるはずです。
では、あなたが誰かを「攻撃」する目的は何でしょう。「攻撃は最大の防御なり」という言葉が示すとおり、実は、
「攻撃も自分を守るための手段、すなわち防御」
にほかなりません。
たとえば、誰かがあなたに失礼な発言をしたとします。もしくは、誰かから不当な扱いを受けたとします。あなたはそこで「被害を受けた」「攻撃を受けた」と感じるでしょう。
同時に、「このまま何もしなければ、もっとひどい目に遭うかもしれない」と予測します。そこで、あなたは「怒る」という手段でその事態に対処しようとします。
「君は私をこれだけ怒らせるようなひどいことをしているんだぞ!」とはっきり示し、相手の望ましくない言動に抗議したり、反省を促そうとしたりするわけです。
実は、「怒りをぶつける」という相手への「攻撃」を、私たちは自分を守る手段として使っているということです。
さて、すでに十分に経験しているとおり、誰かを「攻撃」したり、不測の事態を予想して「防御」したりするとき、私たちは例外なく「望ましくない思い」を抱えることになります。
そして「怒り」の例を見てもわかるとおり、「攻撃」や「防御」には、私たちが期待するほどの効力はありません。自分を守るどころか、むしろ状況を悪化させる結果につながるほうが圧倒的に多いのです。
そこで今日は、冒頭に書いたようにあなたの言動を見張りながら、
「勇気をもって防御を手放す」
という挑戦をしてみてください。
「いやいや、防御を手放したら相手から攻撃され放題になるじゃないか!」と言いたくなるかもしれません。
けれども、「攻撃とはすなわち防御である」という事実を思い出してください。つまり、
「相手は何らかの理由で自分が攻撃されていると思った。だから、自分を守るためにこちらを攻撃するという防御の手段を講じた」
と捉えればいいのです。どうして相手がそう思ったのかの理由はあまり重要ではありません。
それよりも、
「そこであなたが攻撃を選択すれば、相手は自分の読みが当たったと思い、さらなる攻撃を繰り出すことになる」
という攻防のメカニズムを理解することのほうが重要です。
もしそこで、あなたが「防御」の手段としての「攻撃」を手放していれば、相手の読みは完全に的外れだったことになります。
当然ですが、それがわかった彼には「防御」する必要がなくなります。あとは、そっと矛を収めるだけです。
「あなたが先に防御を手放していれば、自然と攻撃されることもなくなる」
これが「心の平安」を得るためにもっとも大切な姿勢だと私は考えます。
Photo by Satoshi Otsuka.
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