恐れや不安がなければ自分はどちらを選ぶか

おかげさまで、拙著「グッドバイブス ご機嫌な仕事」は本日発売となりました。この本のためにご尽力いただいたみなさま、そして発売前から応援いただいたみなさま、本当にありがとうございます!

9年越しの念願がついにかなった今日は、そんな拙著のエピローグに登場するあの話について書こうと思います。

実は、私たちの行う選択には次の2種類しかありません。

恐れや不安に基づく選択
愛に基づく選択

「恐れや不安に基づく選択」は文字どおり、不安に感じることや、恐いと思うことに影響された選択です。

もう一方の「愛に基づく選択」の「愛」については、残念ながらそれを言葉で定義することは不可能だと私は感じています。

たとえば、「我が身を犠牲にして他人に尽くすという意味ではない」「特定の人を深く好きになることとは違う」など、補足のような説明はできるかもしれません。

けれども、そのような相対的な定義をどれだけ重ねても、けっして「愛」の全貌を語ったことにはならないと思うのです。

ただ、私たちは「恐れや不安」と「愛」を同時にもつことはできません。つまり、「愛」について本当のことがわからなくても、「恐れや不安」を手放しさえすれば、自然と「愛に基づく選択」に導かれるということです。

もちろん、ここまでわかったところで、私たちの前に最後の難関が立ちはだかることになります。「どうやって恐れや不安を手放すか?」です。

拙著「グッドバイブス ご機嫌な仕事」でも、かなりのボリュームを割いてこのテーマに挑んでいます。

けっしてベストなやり方ではありませんが、もし自分の中の「恐れや不安」をすべて消せなかったとしても、そのまま「恐れや不安に基づく選択」をするよりはベターな方法が残っています。

まず、自分にこう問いかけてみるのです。

「もしいま、恐れや不安がまったくないとしたら、自分はどちらを選ぶだろう?」

もちろん、そう簡単に答えは出てきません。なぜならば、すでに抱いている「恐れや不安」は、あなたが「愛に基づく選択」をすることだけは阻止したいからです。

でも、ここが絶好のチャンスです。その阻止されそうになっている答えが、あなたにとっての「愛に基づく選択」である可能性はかなり高いと思ってください。

ここでもう一度、自問します。

「恐れや不安がまったくない状態で選ぶのは、この、出したくないと感じる答えのほうだろうか?」

十中八九、そのとおりです。あとは何も考えず、そちらを選ぶと決めるだけです。

「愛に基づく選択」の結果がどのようなものかも、言葉にすればするほど陳腐になっていきます。ぜひ、あなた自身の目で確かめてみてください。

Photo by Satoshi Otsuka.