考えていることの象徴である言葉を見張ろう

東京オリンピックの正式種目に選ばれたことで、いまスポーツクライミングが注目を浴びています。最近では、街中でもボルダリングのジムをよく見かけるようになりました。

たとえば、あなたがそのボルダリングに興味をもって、経験者の友人に詳しい話を聞きに行ったとします。友人はあなたにこう言いました。

「あれはね、見た目よりもかなりハードなスポーツだよ。最初の印象はやっぱり、恐くて難しい感じだったね」

数日後、この話を聞いたあなたが、ボルダリングの最初のレッスンを受ける様子をイメージしてみてください。

おそらく、何かあるたびに「ああ、たしかに難しい」と思うでしょう。もし、手を滑らして落ちそうになったら「ああ、本当に恐い!」と感じるはずです。

では、もしこの友人の話を聞かずにレッスンに参加したとしたら、あなたの感じ方はどう変わっていたでしょうか。

今日は、私たちが発する「言葉」について考えてみようと思います。

誰かに未知の仕事を依頼されるとき、私たちは無意識のうちに「難しそうだね」と言います。もし、それを実行できるイメージが浮かばなければ、反射的に「いや、無理じゃない?」とも言います。

そういえば、管理職の人がよく口にする言葉に「恐い」というのがあります。

「そうやってズルズルと期限が延びていくのが恐いんだよね」
「このまま売り上げ目標が達成されないのが恐いんだよね」

あなたも、一度や二度はそれを聞かされた経験があるはずです。

このブログで何度も書いているように、私たちの考えていることはまず、物の見方をそのように固定し、次第に自分の言動にも影響を与え始めます。その結果、目の前に考えたとおりの現実が創造されていくのです。

そして、私たちが発する「言葉」は、頭で考えていることの象徴でもあります。もちろん、そういう「言葉」を口にするななどと言うつもりはまったくありません。

でも、自分が発した「言葉」を、恐れや不安を抱いていること、そのことから身を守るために負の意味づけをしていること、望ましくない未来を予測していることなどを知るためのシグナルとして利用することはできます。

今日一日だけでかまいません。あなたが「難しい」「恐い」「不安だ」「絶対に○○ない」などの言葉を口にする瞬間を見張っていてください。

ひとつでも見つけたら、次のように自問自答してみます。

「もしこの言葉を使わなかったとしたら、私の言動はどう変わる? まわりの人たちの気持ちはどう変わる?」

この問いによって何かいいことが起こったなら、明日も明後日もその後も、このゲームを続けてみてください。

Photo by Satoshi Otsuka.