わからないものはわからないまま受け入れる

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「なんでも自分で決断しなくてはダメだ!」
「YESかNOかはっきりさせなくてはダメだ!」

そんな教えを、あなたも聞いたことがあると思います。そして、「たしかにそのとおりだ」と、深く納得したこともあるはずです。

もし私たちが、身のまわりで起こる出来事や、自分を取り巻く人々のことを完全に理解していて、未来に起こることも完璧に予想できるとしたら、私もこの意見に賛成です。

けれども実際には、私たちの誰ひとりとしてそんな能力はもち合わせていません。

たとえば、目の前にあるたった1個のリンゴをとってみても、それが何色なのか、美味しいのかまずいのか、美しいのか汚いのかについて、正しい答えを出すことは不可能です。

どれだけリンゴに詳しい人の説であっても、それはあくまでその人の意見にすぎないからです。

人のこととなればなおさらです。どれだけ、「アイツの考えていることは手に取るようにわかるよ」と確信したところで、私たちが行う読心術など、ほとんどは本人の思い込み以外の何ものでもありません。

あえて書くまでもなく、未来の予測も同様です。

つまり、

「私たちは自分自身のことも含めて、本当のことは何もわかっていない」

というのが現実だと私は考えます。

もしかしたら私たちは、心の奥底ではこのことを十分に知っているのかもしれません。それゆえに襲ってくる不安をなんとか解消しようとして、「なんでも自分で決断しなくてはダメだ!」「YESかNOかはっきりさせなくてはダメだ!」と、無理やり自分に言い聞かせているようにも思えるのです。

その結果、自分自身や組織自身を追い込むような無茶な計画を立てる、出来事や人々に自分勝手な負の意味をつける、さらに不安を増長させるような未来予測をするなど、どう考えてもおかしな行動を繰り返しているのです。

本来は、何もわからなければ決断することなどできません。YESかNOかの答えも出せるはずがありません。それのいったい、何が問題なのでしょうか。

「本当はわからないという事実を受け入れ、わかるまで真実を探し続ける。それでもわからなければ勝手に答えを決めずに、わからないものとして接する」

この姿勢をもつことによって、私たちはいまよりもはるかに楽になれるはずです。同時に、この世界の本質である「変化」にも、より柔軟に対応できるようにもなります。

「曖昧なものは曖昧なまま、恐れることなくそれに向き合う」

そんなある種の強さを、私たちは培っていくべきではないでしょうか。

Photo by Satoshi Otsuka.