悩むのが普通の状態とあきらめてはいけない

「最後に、悩みや不安がいっさいない状態を経験したのはいつですか?」

こんな質問をされたとしたら、あなたは何と答えるでしょうか?

おそらく、「いまがまさにそうです!」と言える人はほとんどいないと思います。「うーん、よく覚えていないけど、子どものころかな?」、あるいは「たぶん、そんな状態には生まれて一度もなったことがない」という答えが大多数を占めるのではないでしょうか。

だとしたら、私たち人間にとっては「悩んでいるのが普通の状態」ということになってしまいます。実際に多くの人が「たぶん、それが人間というものだよ」と感じているようにも見えます。

電化製品には「factory setting」や「工場出荷状態」と呼ばれる初期設定があります。私たちはモノではありませんが、私たちにとっての工場出荷状態はやはり「生まれたばかりの赤ん坊」です。

では、生まれたばかりの私たちはどんな感じだったでしょうか。

私も赤ん坊のときの記憶がないので断言はできませんが、たぶん、悩みや不安などひとかけらもなかったはずです。

ということは、私たちの初期設定、すなわち普通の状態は「悩みがない状態」かもしれないのです。

ところが、あなたも実際に体験してきたように、物心ついてさまざまなことを認知できるようになると、次第に頭の中に悩みを抱えながら生きるのがあたりまえになっていきます。

なぜそうなるかについて、2つの可能性があると私は考えます。

ひとつは、自分の周りで起こる出来事や他人の言動が、日々、悩みの原因になっているという可能性です。

そしてもうひとつは、同じ出来事や他人の言動を認識した「自分自身」が、それを頭の中で悩みに変換しているという可能性です。

もし、前者が真実であれば、やはり私たちの人生とは「悩んでいるのが普通の状態」とあきらめるしかありません。なぜならば、私たちには出来事や他人の言動をコントロールすることはできないからです。

私たちにとって唯一の光は後者の可能性です。こちらが真実なら、出来事や他人の言動を認識した際に、「これを悩みには変換しない!」と意志決定しさえすれば、初期設定の「悩みがない状態」を保つことができるからです。

もちろん、私は「悩みがない自分」、すなわち「しあわせな自分」こそが普通の状態だと確信しています。だからこれからも、出来事や他人の言動を悩みに変換しないスキルを磨いていきたいと思うのです。

Photo by Satoshi Otsuka.